ども~!シフォン屋の旦那ことよへえ@川口なびっ!です。
なんやかんや嫁さんとシフォン屋を始めて2年が経過していました。本当にあっという間という言葉がぴったりで月曜火曜を店休日としているものの月曜日は事務作業、火曜日は仕込み日としてほぼほぼ休みなしでやってきた。そんな2年間でした。
たかが2年間、されど2年間。この2年間で助けられた回数は数知れず!これまで僕達を支えてくれた皆様には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。僕たち家族が生きてこれたのも両親、兄弟、友人、知り合いの方々、そして何よりFuuに通ってくれているお客様全てが僕達の助けになっています。それは金銭的な面だけではなく気持ちの面でも「こんなに応援してくれているのだから頑張らないとな」といつも気を引き締められるのです。
そして、こんな無茶なスケジュールでも一緒に頑張ってくれている嫁さん。店の事ばかりでちっとも遊んであげられない我が子達にも申し訳ないなという気持ちと感謝の気持ちが半々であります。
※ここからは長いので読まなくてもいいです(笑)
このシフォン屋としての始まりは、知っている方は知っているでしょうか。2021年までの僕はインターネットを使ったサイト作成や運営などのフリーランス+α(バイトや派遣)として働く日々、嫁さんはパートをしながら子供を見てもらうという、まぁ良くありそうな家庭環境ではありました。
それに加えて僕は好きなサイト作成や地域活動を趣味としていたので川口なびっ!を運営もしていたりもしていたのですが、そんな2021年の夏に僕は脳梗塞になってしまったんですね~。
最初は朝起きた時にダルいな~位の感覚だったんですが、一瞬だけ携帯電話を持っていた手の力が無になり携帯電話を落としてしまったんですね。あれ?と思って携帯電話を拾ったのですがどうも体の調子が悪い。この段階では風邪ひいたかな~位の気持ちだったのですがいつもと違った事がありました。「言葉」という概念がぽっかり消えてしまい何か喋ろうとすると「あれ??」とわからなくなってしまったんです。
暑い夏の日だったので「これは熱中症だな」と感じた僕は。すぐにパソコンに向かい熱中症について調べようとしましたが、なんどやってもパソコンのパスワードが解読できない。あれ?あれれ?と思って何度も手慣れたパスワードとタタタタン!と打った知り尽くしたパスワードを画面で見て驚愕しました。パソコンに打っていたよく知っているはずのパスワードは超でたらめの文字の羅列だったんです。その瞬間僕は「あ、これは脳が壊れているな」と直感で感じ、それに伴って「死ぬかも」とも思いました。
僕は子供の頃から結構変わったタイプで「死」というものに対して「悪い事」とか「恐怖」をあまり感じない人間で、死=人間としての生き方の終わりみたいな感覚なので「死ぬかもしれない」と直感で感じた時にも「今までずっと幸せだったから死ぬときは案外こうやって簡単に死ぬのかもしれないな」とあっさり受け入れられる感覚はあったものの「子供達まだ小さいから嫁さんが心配だな」「子供達泣くかな」など家族への心配は多くあふれ出てきました。
そんな気持ちを持ちながらも、まずは嫁さんや家族に電話でこの症状について話さなければならないと思い急いで電話をかけたかったのですがパスワード思い出せないんですよ!この時は焦りましたね。倒れて頭を打っても良くないと思い座って電話を何とか使えないかと考えこみました。しかも玄関で正座で(笑)
言葉という概念を無くしてしまうと、いつもやっている事がこんなにも難しい物なのかと四苦八苦していると、パンッとケータイのロックが外れました。ラッキーです顔認証でロックが外れてくれたんですね~。いつもはあんまりいらない機能だと思っていたのですが、この時の事を考えるとアザスッと思っています。
この脳梗塞という病気は脳の血管が詰まってしまう症状なんですけど、その欠陥が詰まる場所によって体が動かなくなったり、喋れなくなったりなど色んな症状が出るみたいなのですが、僕の場合は一瞬だけ体が動かなくなった後に言葉という概念がなくなってしまったという感じです。いつもやっているよく知った行動(喋る・書く)ができないんです。本当不思議な感覚でした。
こんな状態でしたので、携帯電話から色んな人に電話してやっとつながったのが兄だったのですが、言葉が出てこなくて喋れないんですよ!こちらが電話かけてるのに黙ってるもんだから兄が「どうした?仕事中だぞ」と言ってても僕は喋り方がわからない。言葉が出てこないんです。そんな時に奇跡だったのか一瞬血管が頑張ったのかは知りませんが「調子悪い」とボソリと言葉が出てきました。
兄は普通じゃないと感じたんでしょうね。「お前なんかおかしいな?すぐに病院電話しろ救急車でもいい早くしろよ」と言って電話を切りました。直後に兄に言われた通りに救急車を呼ぼうと思ったのですが救急車の番号がわかんないんですよ!119だろ!すぐ出るだろ!と思いますよね(笑)出てこないんですね~自分でも「あれ?」「なんで?」って感じです。しかも玄関で正座でウンウン唸りながらこんな事してるんですからね(笑)
しかしここでも奇跡か否か思い出すんですよ!これは本当に神様の思し召しか、近所の神社さんに細かいお金がなかったから、お金もない癖に1000円というお賽銭を奮発したのが功を奏したのかはさだかではございません。
その後は玄関でそのまま正座していたら救急隊の方が来てくれて病院まで運んでくれました。玄関でおっさんが正座していたから救急隊の方もびっくりしたことでしょう(笑)
その後は病院で検査して脳梗塞という結果が出て即入院となりました。おかげさまで身体的な後遺症はなく麻痺などは残りませんでした。しかしながら言語の部分の脳に傷が残ってしまい今まで早口でぺらぺらとうるさいタイプの僕でしたが、言葉が上手く出ずにつっかえたりどもったりする事がおおくなりました。その他には何かを思いついたり思い出したりするのも凄く遅い時があります。さしずめ脳年齢が一気に齢70なった感覚でしょうか。
お店で接客するときもいつも言っているはずの言葉や商品名が出てこない事があり不審がられてしまうので、もしこれを見てくださったお客様はどうか気味悪がらないでいただけたら幸いです(笑)
退院後は頭痛も多く、今までサイト作成やブログ等で記事作成やプログラミング言語などは得意な方だと自分で思っているのですが、その得意分野が苦手分野になりました(笑)特に最初の数か月はスマホの文字やサイトの記事など少し文字を見るだけで酔ってしまい脳内での文字の理解も追いつかないような感覚でした。そんなわけでそれまでフリーランスで続けてきた仕事の継続が困難となってしまったわけです。(クライアント側からお断りされてしまった案件もありました泣)
命あっての物種。命は助かってありがたいと思いつつも仕事をしないと嫁子供にご飯を食べさせてあげられない!と少し焦りもありつつも心のどこかで「また調理関係の仕事ができるかも」と大好きな料理の仕事へ復帰しようという魂胆もありました。
以前から嫁さんとは「将来何か飲食店なんかしてみたいね」などと夢物語を語っていたのですが、いざ本気で初めてお店を始めようとなると「うちらみたいな者が通用するのか」「イチかバチかで多額の借金をするわけにはいかない」ときっと飲食を始めようと考える誰もがぶち当たる壁が立ちはだかります。
そこで何度も嫁さんと話し合い嫁さんの得意な菓子類で軽めに始めて見るということ(嫁さんは製菓学校出身で洋菓子店の店長経験者)初期費用を抑えてとりあえずスタートして少しづつ改善してみることを決めました。
普通お店を始めるとなると1年位は色々練って始めるものですが、いかんせん事情が事情で1年も猶予がない我々は、できる範囲でスピード感を持って準備を進めました。(これが後今も尚僕達の経営を苦しめる事になります笑)
ポンコツ夫婦がなんとかシフォンケーキのお店を開始したのが2021年12月。店を始めようと考えたのが退院してちょっと後の2021年9月とかその辺だった事から、オープンまでいかにバタバタと進めていったかが分かっていただけると思います。
そんなばたばた期間から現在に至るまで、ずーっと支えてくださっている皆様本当にありがとうございます。これからも多数の迷惑をおかけすると思いますができる限りお返ししていきたいと思いますので今後ともよろしくお願いいたします。